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【体験report#03】One day cafe.kyoto ~気づき。「ふつうの人達」をひとまとめにして差別していたのかもしれない(前編)

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ライターであり当事者のしょーこさんからOne day café.kyotoの体験談をいただきました。

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【体験report#03】 

One day cafe.kyoto ~気づき。「ふつうの人達」をひとまとめにして差別していたのかもしれない

One day cafe Kyoto が全国48都道府県、各政令指定都市、世界各国、津々浦々にあればいいのに。

私が二度目の参加で思ったことはそんなことだった。

One day cafe Kyoto は発達障害者と支援者が本音で語り合う事で新しい何かを生み出そうとする勉強会だ。私は発達障害者だけの当事者会以外で発達障害のことを話すと何が起きるんだろう? と参加を始めた。

しかし、私が今回出会って一番印象に残ったのはどちらでもない人達だった。

この勉強会は一枚のポスターを描くことから始まる。話したことをその場で文字と絵で描いていくでむさんのグラフィックレコーディングは凄い! 今日の出来事が彼女の指先からするすると一枚の絵になっていく。最初の注意書き、ゲストトーク、トークセッション、今日の総括、その全てが絵と文字でその日を記録する。これは見ないと分からない魔法のような光景だ。

ゲストトークの最初はイラストレーターのシロさんだ。シロさんはお仕事で描いた絵を見せてくれ、自分の半生を語った。 あくまで私の見方だが彼女はかなり視覚優位の「世界が見え過ぎる人」なのだろう。周囲との違いと感覚過敏に苦しむ彼女を診断した医師はユニークな人で診断をグレーとした。検査を受けて困っている事に対処出来るようになったと微笑んでいた。説明量を減らし、人付き合いがやりやすくなったと。

次のゲストはみーにゃんさんという京都の大学で大人の発達障害について研究されている方だった。自称典型的ADHDで、朗らかな方だった。私は彼女が研究しているという大人の発達障害の凸を磨き、凸を補う社会システムに驚いた。聞いたことのある有名な大学でそんな研究をしているなんて! また彼女の山あり谷ありの人生を聞き感銘した。そして彼女が病を経て身体的な特徴を持つことでようやく発達障害の特性で苦しんでいる部分にも配慮してもらえるようになったと聞き、ほろ苦い感情を抱いた。 二人に共通している点は「診断されてホッとした」という感想だ。

私はやはり診断は大切だと思う。自己分析のスタート地点を間違えないためにも。

後編の対話の場では、私は「発達障害者が健常者に合わせる努力」について沢山の人と語った。健常の方から「生まれつきなんだから、合わせるより他のやり方がある」「まずは本人の望みが最初にあるべき」という言葉が出て、合わせるべき派の私はこの議題がまた一つ分からなくなった。けれど自己分析は発達障害者だけに大切なのではないと知った。それは収穫だ。

そして、一番驚いたことは懇親会での「ふつうの人達」との会話だった。

まずは普通のおじさんがいた。 このイベントの参加者はは基本的には発達障害の当事者と福祉や学校などの支援者で、まさか直接当事者と繋がりのない人が来るとは思ってもみなかったのだ。 彼は子供の授業を見て、身体障害を持つ子供が同じ場所で教育を受けることに感銘を受けてここに足を運んだらしい。

私はインクルーシブ教育がこんなところで活きてくるなど考えてもみなかった。 また、近所のおばあちゃんが来ていた。彼女は独特のバックグラウンドを持っているものの当事者やその家族、職業で関係しているのではなく地域紙を見て近所から参加したらしい。 「今の日本の発達障害への対応は間違っている」と違いを認めることの大切さをちょっと憤り交じりに語った。 違いを認めることが大切なのだと。

私は驚愕した。

もともとこのイベントに参加したのは支援者という人達と対等に話したかったり気持ちを知りたかったからだ。 まさかまさか、こんな普通の人のこんな話が聞けるなんて思っていなかった。

まさかまさか、マイナーな発達障害に縁のない人が自主的に日曜日を消費して関わってくれるなんて想像したこともなかった。

(後編につづく)

ライター■しょーこ

神戸に住む発達女子。2017年は自助会(発達障害の当事者の交流会)にたくさん行くことで人生を考えようと思ってます。本を読むのも書くのも好き。好きな作家は村上春樹と西尾維新、ほか大勢。発達障害に関しては茶道とハンドスピナーを推してる。

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